本白書制作にあたり、子どもの貧困や社会政策などに関する研究の第一人者として知られる東京都立大学の阿部 彩(あべ あや)教授へインタビューを行い、貧困問題に対する社会の認識における課題や支援のあり方、より良い社会へしていくために私たち一人ひとりに何が求められるかについてお話を伺いました。
阿部彩先生 プロフィール:
東京都立大学人文社会学部教授 兼 子ども・若者貧困研究センター センター長。
国際連合、海外経済協力基金を経て、1999年より国立社会保障・人口問題研究所に勤務。2015年4月より現職。専門は、貧困、社会的排除、社会保障、生活保護。著書に、『子どもの貧困ー日本の不公平を考える』(岩波書店、2008年)、『弱者の居場所がない社会』(講談社、2011年)、『子どもの貧困Ⅱ-解決策を考える』(岩波書店、2014年)、「貧困を救えない国 日本」(PHP研究所、2018年)など。
グッドネーバーズ・ジャパン [以下、GNJP] 阿部先生は、新宿にあるホームレスのダンボール村が行政により撤去された光景を目にしたことをきっかけに日本の貧困問題の研究に取り組まれ始めたと、とあるインタビュー記事で拝見しました。阿部先生ご自身は、そのホームレスの方々のように社会の隅へ追いやられている人が存在しているという状況に対し、どのようなお気持ちを抱いてこられたのでしょうか。
阿部彩先生 [以下、阿部氏] まず、そのダンボール村撤去の出来事で私が衝撃を受けたのは、ホームレスの人々がいきなり住む場所を追い出されたという状況に対して、日本の人々が何も不思議に思わなかったということです。
私は元々途上国の開発支援に携わっていましたが、たとえば途上国で道路や鉄道などのインフラを整備するとき、インフラが建設される土地に住む人々が立ち退きを求められる場合があります。その人々に対して代替地を提供し、新天地で生計を立てる方法を検討するなど、人々の生活を守るための方策を検討してから開発を進めなければなりません。この考え方が、途上国に対する支援を行う機関や政府におけるスタンダードです。そして、日本政府も支援先の国の政府に対し、そのスタンダードを守るよう伝えていたわけです。
しかし、いざ日本に目を移すと、ホームレスの人々は警察を使ってでもその場から動かしてもいい、駅や公園などの公共の場に住んではいけないから追い出してもいい、というふうに思われていて、その人たちがその場所で生活をしていることに対する配慮が全くないと感じます。その人たちがなぜそこで生活をしなければならないのかといったことや、その人たちの権利については全く考えない。それがおかしいなと思いました。そして、昨日までそこに住んでいた人たちが追い出されたという状況を見ている日本の人々が、その事実に対して何も疑問に思わず、それが普通、当たり前だと平気で通り過ぎていくという感覚が私はすごくショックでした。
GNJP 私たちも、日本では貧困問題に対する社会の認識や理解が十分とは言えない状況が課題だと感じています。その課題の根底にあるものは何だとお感じになりますでしょうか。
阿部氏 日本の場合、(経済的に)上の方の層にいる人々が、「自分たちは恵まれた層だ」という認識が少ないと思います。恵まれた層というのは、何も特別な地域に住んでいるような人を指しているのではなく、たとえば、夫も妻も大卒で二人とも正規で働いているような方々などです。また、夫婦の年収が合わせて1,000万円となれば、日本の所得分布のトップ1割くらいに入ってきますが、そういった方々も「自分は中間層」と感じていて、特権層という意識はないと思います。
自分たちは一生懸命頑張ってきて、受験戦争に勝ってきて、今も一生懸命仕事をしているからこの生活があるのだと認識し、「自分たちが恵まれているからこのポジションにある」とは誰も思いたくないのです。皆、「自分たちの努力の結果こうなった」と思いたいのです。
そして、それを裏返すと、「それができなかった人というのは、自分たちみたいに努力をしなかった人だ」と捉えてしまう状況はあると考えます。日本では、皆平等に機会があるのだ、たとえば、受験戦争は平等だから努力次第で何とかなるんだ、という平等神話のようなものがありますが、実際は全く公平な競争ではありません。
GNJP 環境によって公平な機会が得られないことはおおいにありますね。
阿部氏 はい。自分が恵まれていることを認識していなければ、恵まれている分を社会に還元しようという気持ちにはならないのではないかと思います。
一方、そういった人たちへ訴えかけるにあたり、「貧困の子どもがかわいそうだから支援しましょう」と言うのではいけないと私は思っています。かわいそうだから支援するというのは、自分たちの生活が脅かされないかぎりは支援するという、チャリティーの観点です。
かわいそうだから支援する、自分より下の人に対しては支援をする、という姿勢ではなく、人々が連帯して問題を解決していかなければなりません。たとえば、賃金が低いというのはひとり親の問題でもありますが、パートで働いているふたり親や、非正規労働で働いている人たち全体の問題でもあります。貧困問題はひとり親だから起こるのではなく、非常に普遍的で大きな問題につながっているのです。
「ひとり親だから」と線を引くのではなく、たとえば「労働者の権利として、自分と自分の家族が食べられるくらいの賃金は得られるべきだ」というような、権利の問題であることが示されれば、人々は連帯することができると思います。
GNJP 「グッドごはん」を通じて当団体が食品をお渡しするひとり親家庭の数は増え続けており、食の面で非常に切迫した暮らしに置かれているご家庭が多く存在していることを痛感しています。
一方、そのようなきわめて厳しい状況を私たちのような団体の活動のみで解決することは難しく、社会におけるより多くの立場の方々がこの問題に取り組んでいくことが必要だと感じています。食の貧困問題に対し社会全体で取り組んでいくためには、どうすべきとお考えでしょうか。
阿部氏 今は子ども食堂やフードバンク活動が非常に増えており、私自身、これらの活動は素晴らしいものだと思っています。ただ、貧困の子どもたちが日本全体で約300万人もいる中、どんなに民間が頑張ってもできることは限られているとは思います。そのため、政策として対応できるかどうかというところが重要なので、食に困っている方々がいるという実態を踏まえ、公的に何とかしようと市民の方々が声を上げるのが一番だと思います。
たとえば、子どもの食に直接働きかけられるのは学校の給食だと私は思いますが、公立中学校でも給食を出していない自治体はまだたくさんあります。また、一番食の問題が大きいのは高校生ですが、この年代で給食があるところは本当に少なく、給食制度はより整備されるべきと考えます。さらに、学校がない長期休みにおいても学童で給食を提供するなどの方法もあり、これらの対応によって、カバーできる子どもの数は断然増えてきます。
そこで、税金を払っている市民の方々が「なぜうちの自治体には給食がないのか」などといった声を上げることが必要だと思います。そして、子どもの支援をしている民間団体のみなさんには、市民の方々が声を上げることにつながるよう、本当にご飯が食べられない子どもたちがいるという実態があることを市民の方々に伝え、問題提起をすることが大切だと考えます。
GNJP 市民の方々が声を上げること、その行動につながるよう私たちのような民間団体が実情を発信していくことの大切さを改めて認識しました。市民の方々に貧困問題をより自分事として捉えていただけるよう、いかに発信をしていくことが適切でしょうか。
阿部氏 食の問題に関しては、お腹を空かせている子どもがいるという状況に対し、いてもたってもいられなくなるという感覚をもっている方は多いと思います。そして、戦後半世紀以上も経ち、完全な先進国の仲間入りをし、成熟期にきている日本において、お金がなくてご飯が食べられないという状態があってはならない、という点に共感をもつ人は相当多いのではないでしょうか。
福祉国家として、すべての人が「ひもじくない」という状況をつくるべきだと思います。ひもじい人がいない社会は少なくとも政府が保障すべきで、私たちが目指す最低限の社会である、という訴えに共感してくれる層へ働きかけていくことが必要だと考えます。
GNJP ひとり親の中には、たとえば家庭内暴力といった辛い経験をして離婚した人も少なくないですが、心に傷を負った状態のまま一人で子育てや仕事をすることには大変な困難が伴うと考えます。そのような苦しい状況に置かれている方々を社会で支えるためには、どのようなものが有効でしょうか。
阿部氏 まさにそういった時のためにある制度が、生活保護です。家庭内暴力などで精神的にズタズタになって離婚をする。そうしたら、生活保護に2~3年かかり心を休めてもよいはずです。心を休めて元気になったら、復帰すればよいのです。
ところが、生活保護を受けることは恥だというような風潮が社会にあるため、どんなに苦しくても、生活保護だけは受けたくないと考えてしまう方々がいる。そのような考えを、世間が増長している。そこは皆さんの意識を変えていただきたいと思うところです。本来、一時的な困窮状態にある人を保護することにおいて生活保護は一番適しており、生活保護を受けることは国民の権利でもあります。しかし、権利意識が無く、生活保護を受ける人をバッシングする社会があります。社会一般の意識を、本当に変えなければなりません。
GNJP おっしゃるとおりだと思います。また、日本社会には、病気などで働けなくなるといったネガティブな出来事により一度社会から零れ落ちてしまえばもう元には戻れない、といった風潮があるように感じますが、グッドごはん利用者の中には、持病をもっている、介護が必要な家族がいるなど、困難な要素をいくつも抱えている人が少なくありません。そして、そのような困難が複雑に絡まり合い貧困を悪化・形成しているのではないかと考えています。困難な状況は個々に違うため、すぐに解決策を導き出すのは難しいかもしれませんが、もし貧困を解決する糸口が何かあるとすれば、それはどのようなものでしょうか。
阿部氏 まず、グッドごはん利用者の多重苦に関する声や調査結果(※)は、現状を説明するのに良いのではないかと思います。
(※参考:以下、グッドごはん利用家庭の保護者における困難状況に関する調査結果1)
たとえば「持病がある」という人について、持病があるのに働かなければならないという状況があるとすれば、これは「働き方」に関する問題になります。
精神疾患についてもそうです。日本では精神障がい者の雇用率はとても低く、他の障がいタイプの方々の雇用率と比べても低くなっていますが、精神疾患をもっている人が働けないのは、その方に能力がないからではありません。24時間企業戦士のような人しか働けないという雰囲気を日本の社会がつくっており、そのために、精神疾患があると働けないといった状況に追い込まれてしまっていると考えられます。
ひとり親家庭の方々に関して言えば、たとえばお子さんに障がいがあるとなったら、親御さんはフルタイムで働けなくなる状況にさらされます。
このような状況に対し、精神疾患があるとか、学歴が低いとか、介護や介助が必要な家族がいて、フルタイムで働けないとか、さまざまな理由で、人々が貧困であるということを納得してしまう。そして、彼らを「かわいそう」と思って、自分自身の余裕の中だけで支援する。そういうふうにもっていってはいけないと思います。なぜその状況だと働けないのか?、こういう風に社会が変わればだれでも働きやすくなるのに、というように疑問をもち、社会の方が変わらなくてはなりません。そうして、他者へのやさしさや配慮のある社会にしていくことが必要です。そういった社会であれば、皆が楽になるはずですから。
GNJP より良い社会にしていくためには、貧困の背景にある本質的な問題に目を向け、そこに疑問をもち変化を目指していくことが大切だと改めて気づかされました。貴重なお話をありがとうございました。